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最終更新日:2015年03月25日


建造物・石造物・歴史資料

愛光商会吉浜寮

愛光商会吉浜寮

平成18年3月2日 国登録
所在地: 湯河原町吉浜1

南辺を接道する敷地に南面して東西棟で建っています。桁行11m、梁間9mの規模で、木造3階建、切妻造、鉄板葺で、妻壁をうだつ状に立ち上げています。外壁をモルタル塗の大壁とするが、2階、3階正面は、持ち送りで柱形を前に出し、上げ下げ窓を連続して配しています。


徳利亭 (尾崎家住宅)

徳利亭(尾崎家住宅)

平成22年1月15日 国登録
所在地: 湯河原町宮上261-38

徳利亭は、もとは横浜の書籍・文具商の老舗・有隣堂の初代社長であった松信大助氏の別荘で、平成15年に尾崎德氏の別荘となり、徳利亭と号しました。
主屋は、切妻造・桟瓦葺のL字型の棟の1部に寄棟造の2階を載せ、東側に入母屋造の寝室と中2階の茶室、西側に入母屋造・銅板葺の玄関を突き出した構成です。


上野屋

上野屋

平成22年1月15日 国登録
所在地: 湯河原町宮上616-1他

「上野屋」は、湯河原で最も古い歴史を持つ温泉旅館の一つです。創業は江戸時代で、幕末期の湯宿の一つとして数えられます。明治28(1895)年発行『相州土肥湯河原温泉誌』には「村内の温泉宿は総て十二戸あり」と12軒の旅館の名がありますが、その中に上野屋(室伏愛次郎)も記されています。
本館は、木造5階建て、鉄板葺入母屋造の大屋根を持つ客室棟で、山側の傾斜地に沿って木造4階建てとして建設されました。その後すぐに、長逗留をしていた銀座の大店の常連客の希望で、5階部分が離れとして増築されました。


伊藤屋

伊藤屋

平成26年4月25日 国登録

所在地:湯河原町宮上484-1他

 

伊藤屋は、明治21年に伊藤周造が政府の高官を宿泊させる目的で創業した旅館です。 本館は、総二階の楼閣風建物で、入母屋造桟瓦葺の屋根をあげ、三寸六分角柱の細い桧柱と繊細な組子入硝子障子を多用した近代和風建築です。棟札により大正15年に上棟されたことがわかります。特に主室は、違棚と付書院のある床脇の背面に狭間格子入の硝子障子を立てた明窓を付けるなど、他に見られない特徴をもっています。


藤田屋

藤田屋

平成26年12月19日 国登録

所在地: 湯河原町宮上495

 

「藤田屋」は、明治44(1911)年の「旅館要録」によると開業は明治15(1882)年で、現在営業を続ける中でも特に歴史の古い温泉宿の一つです。

本館は、木造2階建ての西棟・東棟とその中央の木造平屋の玄関棟から成ります。天井や障子の組子に意匠が凝らされており、温泉町の歴史的景観を形成する重要な要素と位置付けられます。


五所神社本殿

五所神社本殿
平成7年2月14日神奈川県指定
所在地: 湯河原町宮下360 五所神社境内

神奈川県内にある多くの社寺建造物は、江戸時代以降に建てられたものが大部分を占めています。その中で、五所神社本殿は、室町時代後期の建立であろうとされています。本殿は、三間社流造で、屋根は、もと柿葦でした。昭和57年再建の入母屋造拝殿後部と接続していますが、もとは独立した本殿でした。

醍醐院宝篋印塔

醍醐院宝篋印塔
昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地: 湯河原町福浦117

江戸時代の宝篋印塔は、大形のものが多く、主に供養塔としてお寺の境内に建てられました。醍醐院のものもそうした石塔のひとつで、現熱海市泉にある保善院の住職の協力を得て、当時の福浦村の高橋という人が建設したものです。石は、地元の小松石を使用しています。答身には彫刻がほどこされ、この地方に優秀な石工がいたこともわかります。波の図形なども使われていて、漁村らしい雰囲気をただよわせています。

小道地蔵堂宝篋印塔

小道地蔵堂宝篋印塔
昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地: 湯河原町吉浜1

この宝篋印塔の材料となっている小松石は、硬く、耐久性、耐火性にすぐれ、みがくと独特の光沢を発します。江戸時代に江戸城の修理などで大量に使われたことから有名になり、建築用材として人気が高まりました。小道地蔵堂は、星ヶ山中腹にあったものを、江戸時代に現在の場所に移築したものです。一部表面がいたんでいる部分はありますが全体によく保存されています。この石塔には、その地蔵堂の由来などが書かれています。当時の石塔としてもかなり大形のもので、吉浜村が石材業にかかわっていたこと、優秀な石材加工者がいたことを示しています

與謝野寛・晶子歌碑

與謝野寛・晶子歌碑
昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地: 湯河原町吉浜1871番地の1

與謝野寛(1873~1935年)・晶子(1878~1942年)歌人、詩人。與謝野夫妻は、ともに進歩的な考えを持ち、従来の歌風にこだわらず、人間の情熱的な生き方をおおらかに歌いあげ、自身もそんな生き方をしました。
当時、與謝野鉄幹(寛)らが出した雑誌「明星」に挿絵を描いていた真鶴在住の三宅画伯は、彼の友人有賀精氏所有の真珠荘を夫妻に紹介し、二人は昭和7年から17年までの10年間、幾度となくここを訪れ、その都度1週間から10日間滞在しました。この碑に刻まれた歌は、この地で二人が詠んだ数千首の中から選ばれました。

聖ヶ窪の宝篋印塔

聖ケ窪の宝篋印塔

昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地: 湯河原町宮下697番地の1

宝篋印塔の名称の起こりは、唐の高僧不空三蔵の訳による宝篋印陀羅尼経という経文を塔の中に納めて、礼拝供養したことによります。塔の構造は、下部より基礎・塔身・笠・相輪の四つから成っています。実際に石の塔が造られたのは、鎌倉時代以降のことで、武将や豪族の供養塔・墓碑として使われました。鎌倉時代のものは、一般的に規模が大きく安定感がありますが、室町時代になると小さく細長い形になってきます。
聖ヶ窪の宝篋印塔のある丘は、五輪山と呼ばれ、大正末期まで近隣の人々が集まって祭礼を行っていました。この塔は、民間信仰と仏教の伝承を知る上で貴重な資料です。また、構造や歴史の点でも、城願寺の土肥一族の墓所にある宝篋印塔に匹敵するものです。


五郎神社本殿

五郎神社本殿
平成16年1月1日湯河原町第4次(第1期)指定
所在地: 湯河原町鍛冶屋字宮の森725 五郎神社境内
製作年代: 17世紀後期

英潮院地蔵堂(小道地蔵堂)の明和2年の碑

英潮院地蔵堂(小道地蔵堂)の明和2年の碑
平成16年1月1日湯河原町第4次(第1期)指定
所在地: 湯河原町吉浜字柏坂1 英潮院内
製作年代: 明和2年(1765年)

吉浜柏坂の道標

吉浜柏坂の道標

平成16年1月1日湯河原町第4次(第1期)指定
所在地: 湯河原町吉浜字柏坂4のロ地先
製作年代: 江戸時代 


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