ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 観光情報 > 観光・スポット > 人気・おすすめスポット > 2・26事件の現場「光風荘」案内
現在地 トップページ > 分類でさがす > 観光情報 > 目的 > 観る > 2・26事件の現場「光風荘」案内
現在地 トップページ > 分類でさがす > 観光情報 > 観光ガイド > パンフレット・その他 > 2・26事件の現場「光風荘」案内

本文

2・26事件の現場「光風荘」案内

ページID:0001282 更新日:2022年12月12日更新 印刷ページ表示

光風荘

開館時間

毎週 土、日、祝日(年末年始を除く)

午前10時~午後3時まで(最終受付午後2時30分まで)

予 約

平日に入館したい場合は、ガイドの予約が必要です。

詳細はこちら

所在地 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上562-3<外部リンク>
交 通 湯河原駅から不動滝・奥湯河原行きバスに乗車し「公園入口」にて下車後、徒歩1分。

※毎年「2・26事件の日」に特別開館を実施しております。(令和6年の特別開館から実施を再開いたします。)

2・26事件と湯河原

1936年(昭和11年)2月26日珍しい大雪の早朝、国家改造(昭和維新)を目指す陸軍の一部青年将校らは1400人余の部下将兵を率いて、首都の中心部を占拠し、軍・政府高官の官邸、私邸を襲うという、日本近代史上未曾有のクーデター未遂事件2・26事件を起こした。
この事件で斎藤内大臣・高橋蔵相・渡辺教育総監や護衛の警察官らが犠牲になったほか、多数が負傷した。

この事件で、東京以外の唯一の現場となったのが、ここ湯河原の光風荘である。
老舗旅館伊藤屋の元別館光風荘には、前内大臣の牧野伸顕伯爵が静養のため家族、使用人とともに滞在していた。
天皇側近として国政の中枢にあり、リベラルな考え方で政・官・財界に影響力を持っていた牧野伯爵は、急進的な青年将校たちに天皇の判断を誤らせる君側の奸(天皇を取り巻く悪者)と見なされ、襲撃の対象となった。

2月26日早朝、東京から雪の湯河原に着いた河野壽大尉以下8名の別働隊は、光風荘を急襲。
当直の護衛官・皆川義孝巡査と銃撃戦のあと同荘を放火炎上させたが、目指す牧野伯爵は地元消防団員らの活躍で脱出に成功。
この事件で護衛の皆川巡査は死亡。河野大尉も部下の下士官とともに重傷を負ったほか、伯爵づきの看護婦や地元消防団員も銃弾や消火作業で負傷した。

事件後、河野大尉は、収容先の熱海の陸軍衛戍病院(分院)で、差入れの果物ナイフで自決した。

光風荘の主な展示資料

2・26事件の湯河原の現場「光風荘」の画像

  • 皆川巡査の遺体の傍らにあった、焼け焦げた愛用の万年筆(現物)
  • 河野大尉が自決に用いた果物ナイフ(刃こぼれが痛ましい)と直筆の辞世の句(現物)
  • 兄大尉に自決を促した実弟(大学生)からの手紙(現物)
  • 事件を回想した麻生和子さん(牧野伯爵の孫、祖父母に付添い事件に遭遇)の手紙(直筆)ほか当時の新聞、写真など 多数

湯河原「2・26事件」の主な登場人物

牧野 伸顕 伯爵
(まきの のぶあき)

明治の元勲大久保利通の次男として1861年(文久元年)、出生。官界に入り文相・農相・外相・宮相を歴任。1926年(大正15年)から1935年(昭和10年)まで内大臣として政界に隠然たる勢力をもつ。
2・26事件では親英米派として、湯河原滞在中を襲われるが、救出されて無事。
当時75歳。
吉田茂元首相は、長女牧野雪子の婿。吉田の長女和子は、祖父伸顕とともに事件に遭遇した。
1949年(昭和24年)没、88歳。

吉田(麻生) 和子
(よしだ かずこ)

牧野伸顕、峰子夫妻の孫。2・26事件当時20歳。
祖父母に付き添って湯河原に滞在中事件に巻き込まれ、牧野伯爵を外に逃がすなどした。
父は吉田茂元首相。のちに麻生太賀吉に嫁ぐ。麻生太郎現副総理(財務・金融大臣)の母。

皆川 義孝 巡査
(みながわ よしたか)

茨城県出身。1927年(昭和2年)警視庁巡査となり1933年(昭和8年)巣鴨署。1934年(昭和9年)警視庁警務部警衛課勤務となり、2・26事件直前の1936年(昭和11年)2月初め、前任者と交代して牧野伯爵警護担当(牧野礼遇随衛)に発令され、事件に遭遇、殉職した。
享年32歳、妻帯。

河野 壽 陸軍大尉
(こうの ひさし)

1907年(明治41年)佐世保市生まれ。海軍少将河野左金太の3男。熊本県立中学済々黌、熊本陸軍幼年学校を経て1928年(昭和3年)、陸軍士官学校(陸士40期)卒業。
事件当時は所沢陸軍飛行学校の操縦科学生。決起将校の中でも急進派だったが学生の身で部下がなく、襲撃前夜、同志栗原安秀中尉から旧部下や民間人7人を紹介され、それらを率いての行動となった。
事件後、熱海の陸軍衛戍病院で自決。享年28歳、独身。

岩本 亀三
(いわもと かめぞう)

1903年(明治36年)生まれ。当時34歳、湯河原町宮上・岩本屋旅館主人。湯河原町消防団第5分団前分団長。
2・26事件当日、早朝出立の客のために玄関前でハイヤーを待っていたとき光風荘の火災(襲撃隊の放火)に気づき、現場に急行。牧野伯爵を救出するが、その際に小銃弾で左足に貫通銃創を受け、全治1ヶ月の重傷。

森 鈴江
(もり すずえ)

牧野伯爵付き看護婦。31歳。避難中流弾で腕に銃創。

八亀 広蔵
(やかめ ひろぞう)

伊豆屋旅館主人、消防団員。消火作業中に頭部負傷。

湯河原襲撃の8人(氏名・肩書き・負傷・生死・判決など)

河野 壽 所沢飛行学校・大尉・28歳・独身 右肺部貫通銃創 昭和11年3月6日自決
水上 源一 民間人・弁理士・27歳・妻、1女   判決・死刑
(昭和11年7月12日銃殺)
宇治野 時参 歩兵第1連隊・軍曹・24歳   判決・禁錮15年
宮田 晃 予備役歩兵曹長・会社員・27歳 左脛盲管銃創など負傷 判決・禁錮15年
中島 清治 予備役歩兵曹長・28歳   判決・禁錮15年
黒田 昶 予備役歩兵上等兵・25歳   判決・禁錮15年
黒澤 鶴一 歩兵第1連隊・一等兵・21歳   判決・禁錮15年
綿引 正三 民間人・無職・22歳   判決・禁錮15年
【協力者】
渋川 善助
民間人・陸軍に在籍歴・30歳   判決・死刑
(昭和11年7月12日銃殺)
事件前日まで数日、湯河原伊藤屋本館に妻絹子と逗留して牧野伯爵の動静を監視。
前日に指揮官河野大尉と合流、最終確認の上帰京。大尉は翌朝部下とともに決行。