絵画・古文書
子之神社の格天井板絵(ねのじんじゃのこうてんじょういたえ)

昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地: 湯河原町福浦129 子之神社
この板絵は、狩野派と文人画を折衷した格調高いもので、中国や朝鮮に流行した陰陽五行説や本草学などの知識が盛り込まれ、江戸文化史の一断面を知る貴重な資料です。 板絵に描かれている花鳥獣魚の大半は八十島文雅の筆によるものですが、一部の魚貝類等郷土特有の海産物の絵に中には稚拙なものもあり、おそらく地元の無名絵師の参加もあったものとみられ、郷土資料としても得がたいものです。なお、作者の文雅は、天保時代の女性絵師で、その画風や雅号から察して谷文晁と師弟関係にあったと推測されます。文雅は、当時、江戸の魚商人と密接な関係にあった福浦村の求めにより、はるばると当村に至り、名主であった露木浦右衛門宅に長期滞在し、村民の協力を得ながらこの板絵を完成させたものと考えられます。
所在地: 湯河原町福浦129 子之神社
この板絵は、狩野派と文人画を折衷した格調高いもので、中国や朝鮮に流行した陰陽五行説や本草学などの知識が盛り込まれ、江戸文化史の一断面を知る貴重な資料です。 板絵に描かれている花鳥獣魚の大半は八十島文雅の筆によるものですが、一部の魚貝類等郷土特有の海産物の絵に中には稚拙なものもあり、おそらく地元の無名絵師の参加もあったものとみられ、郷土資料としても得がたいものです。なお、作者の文雅は、天保時代の女性絵師で、その画風や雅号から察して谷文晁と師弟関係にあったと推測されます。文雅は、当時、江戸の魚商人と密接な関係にあった福浦村の求めにより、はるばると当村に至り、名主であった露木浦右衛門宅に長期滞在し、村民の協力を得ながらこの板絵を完成させたものと考えられます。
元禄13年10月 伊豆山権現領(いずさんごんげんりょう)と小田原蕃との境論についての幕府裁許状 (裁定図)

平成16年1月1日湯河原町第4次(第1期)指定
所在地: 湯河原町中央2丁目2番1 (湯河原町役場内)
製作年代: 元禄13(1700)年10月4日
伊豆山権現領の農民が、権現領内から石を切り出す小田原領民を訴えたものです。万治年間(1656~1660年)伊豆山と熱海村との境界争いに下された裁許絵図をよりどころに、伊豆山権現領と小田原領との境界が定められることになりました。この境界がそのまま伊豆国と相模国との国境となりました。
この裁許で、門川〈現千歳川〉が境界となり、現熱海市泉地区が伊豆国へ編入されました。
近世における人々の暮らしや産業、国境の定め方を知るうえで、貴重な歴史的資料です。
所在地: 湯河原町中央2丁目2番1 (湯河原町役場内)
製作年代: 元禄13(1700)年10月4日
伊豆山権現領の農民が、権現領内から石を切り出す小田原領民を訴えたものです。万治年間(1656~1660年)伊豆山と熱海村との境界争いに下された裁許絵図をよりどころに、伊豆山権現領と小田原領との境界が定められることになりました。この境界がそのまま伊豆国と相模国との国境となりました。
この裁許で、門川〈現千歳川〉が境界となり、現熱海市泉地区が伊豆国へ編入されました。
近世における人々の暮らしや産業、国境の定め方を知るうえで、貴重な歴史的資料です。
この情報に関するお問い合わせ先
社会教育課
電話番号:0465-62-1125 FAX番号:0465-62-1188