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2・26事件の現場「光風荘」案内
光風荘
開館時間 |
毎週 土、日、祝日(年末年始を除く) 午前10時~午後3時まで(最終受付午後2時30分まで) |
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予 約 |
平日に入館したい場合は、ガイドの予約が必要です。 |
所在地 | 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上562-3<外部リンク> |
交 通 | 湯河原駅から不動滝・奥湯河原行きバスに乗車し「公園入口」にて下車後、徒歩1分。 |
※毎年「2・26事件の日」に特別開館を実施しておりますが、新型コロナウイルス感染症の影響により、令和4年の特別開館は実施しませんでした。
2・26事件と湯河原
1936年(昭和11年)2月26日珍しい大雪の早朝、国家改造(昭和維新)を目指す陸軍の一部青年将校らは1400人余の部下将兵を率いて、首都の中心部を占拠し、軍・政府高官の官邸、私邸を襲うという、日本近代史上未曾有のクーデター未遂事件2・26事件を起こした。
この事件で斎藤内大臣・高橋蔵相・渡辺教育総監や護衛の警察官らが犠牲になったほか、多数が負傷した。
この事件で、東京以外の唯一の現場となったのが、ここ湯河原の光風荘である。
老舗旅館伊藤屋の元別館光風荘には、前内大臣の牧野伸顕伯爵が静養のため家族、使用人とともに滞在していた。
天皇側近として国政の中枢にあり、リベラルな考え方で政・官・財界に影響力を持っていた牧野伯爵は、急進的な青年将校たちに天皇の判断を誤らせる君側の奸(天皇を取り巻く悪者)と見なされ、襲撃の対象となった。
2月26日早朝、東京から雪の湯河原に着いた河野壽大尉以下8名の別働隊は、光風荘を急襲。
当直の護衛官・皆川義孝巡査と銃撃戦のあと同荘を放火炎上させたが、目指す牧野伯爵は地元消防団員らの活躍で脱出に成功。
この事件で護衛の皆川巡査は死亡。河野大尉も部下の下士官とともに重傷を負ったほか、伯爵づきの看護婦や地元消防団員も銃弾や消火作業で負傷した。
事件後、河野大尉は、収容先の熱海の陸軍衛戍病院(分院)で、差入れの果物ナイフで自決した。
光風荘の主な展示資料
- 皆川巡査の遺体の傍らにあった、焼け焦げた愛用の万年筆(現物)
- 河野大尉が自決に用いた果物ナイフ(刃こぼれが痛ましい)と直筆の辞世の句(現物)
- 兄大尉に自決を促した実弟(大学生)からの手紙(現物)
- 事件を回想した麻生和子さん(牧野伯爵の孫、祖父母に付添い事件に遭遇)の手紙(直筆)ほか当時の新聞、写真など 多数
湯河原「2・26事件」の主な登場人物
牧野 伸顕 伯爵 |
明治の元勲大久保利通の次男として1861年(文久元年)、出生。官界に入り文相・農相・外相・宮相を歴任。1926年(大正15年)から1935年(昭和10年)まで内大臣として政界に隠然たる勢力をもつ。 |
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吉田(麻生) 和子 |
牧野伸顕、峰子夫妻の孫。2・26事件当時20歳。 |
皆川 義孝 巡査 |
茨城県出身。1927年(昭和2年)警視庁巡査となり1933年(昭和8年)巣鴨署。1934年(昭和9年)警視庁警務部警衛課勤務となり、2・26事件直前の1936年(昭和11年)2月初め、前任者と交代して牧野伯爵警護担当(牧野礼遇随衛)に発令され、事件に遭遇、殉職した。 |
河野 壽 陸軍大尉 |
1907年(明治41年)佐世保市生まれ。海軍少将河野左金太の3男。熊本県立中学済々黌、熊本陸軍幼年学校を経て1928年(昭和3年)、陸軍士官学校(陸士40期)卒業。 |
岩本 亀三 |
1903年(明治36年)生まれ。当時34歳、湯河原町宮上・岩本屋旅館主人。湯河原町消防団第5分団前分団長。 |
森 鈴江 |
牧野伯爵付き看護婦。31歳。避難中流弾で腕に銃創。 |
八亀 広蔵 |
伊豆屋旅館主人、消防団員。消火作業中に頭部負傷。 |
湯河原襲撃の8人(氏名・肩書き・負傷・生死・判決など)
河野 壽 | 所沢飛行学校・大尉・28歳・独身 | 右肺部貫通銃創 | 昭和11年3月6日自決 |
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水上 源一 | 民間人・弁理士・27歳・妻、1女 | 判決・死刑 (昭和11年7月12日銃殺) |
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宇治野 時参 | 歩兵第1連隊・軍曹・24歳 | 判決・禁錮15年 | |
宮田 晃 | 予備役歩兵曹長・会社員・27歳 | 左脛盲管銃創など負傷 | 判決・禁錮15年 |
中島 清治 | 予備役歩兵曹長・28歳 | 判決・禁錮15年 | |
黒田 昶 | 予備役歩兵上等兵・25歳 | 判決・禁錮15年 | |
黒澤 鶴一 | 歩兵第1連隊・一等兵・21歳 | 判決・禁錮15年 | |
綿引 正三 | 民間人・無職・22歳 | 判決・禁錮15年 | |
【協力者】 渋川 善助 |
民間人・陸軍に在籍歴・30歳 | 判決・死刑 (昭和11年7月12日銃殺) |
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事件前日まで数日、湯河原伊藤屋本館に妻絹子と逗留して牧野伯爵の動静を監視。 前日に指揮官河野大尉と合流、最終確認の上帰京。大尉は翌朝部下とともに決行。 |