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最終更新日:2019年06月14日


無形民俗文化財(指定順)

吉浜の鹿島踊(よしはまのかしまおどり)

素鵞神社の鹿島踊り
昭和29年7月17日  神奈川県指定
昭和46年11月11日 国選択
所在地: 湯河原町吉浜

鹿島踊りは、小田原市石橋から相模湾沿岸を西に湯河原まで10か所、静岡県は、伊豆半島東岸、東伊豆町北川(ほっかわ)まで11か所、あわせて21か所で踊られていたものが、戦後、湯河原町では福浦と門川が廃絶、現在は、吉浜と鍛冶屋の2か所のみとなりました。 踊られる場所は、本来、神社の例祭の他は海辺で海に向って、あるいは村境まで出向いて踊るものでした。
踊りの起源は、古代たたら製鉄に関するものでしたが、ここでは疫病の送り払い、大漁と豊作、湯河原地方特有の産業である石材産出の無事とそれを輸送する海上安全にありました。踊手(おどりて)は、白丁(はくちょう)を着て烏帽子(えぼし)をかぶった土地の青年25人。その構成は、太鼓(つつみ)役2人、黄金柄杓(こがねびしゃく)役1人、(かね)役2人、黄金柄杓(こがねびしゃく)役1人、日形(ひがた)役1人、月形(つきがた)役1人、他の19人は踊りのみです。吉浜の鹿島踊りは、吉浜地区にある素鵞(すが)神社で踊られ、この地方独特の形態をした踊りで、古い形を比較的良好な状態で今に継承されおり、これは、全国でも珍しく、国と県にそれぞれ選択、指定されています。

城堀元服祝い唄(しろほりげんぷくいわいうた)

 
城堀元服祝唄
昭和57年4月1日 湯河原町指定
所在地: 湯河原町城堀

この祝唄は、城堀地区が堀之内村といわれていた明治の初期、若衆(わかしゅう)の組織が組まれ、数え年15歳を迎えた少年達が若衆に入会する際の入会式に取り入れられ、以来、昭和36年、青年団が解散するまで引き継がれてきたものです。今日の成人式である入会式は、新入会者とその身元保証人、受入側の若衆組織あるいは青年団の年輩者との間で、めでたい台詞(せりふ)のやりとりが行われました。誰の助けも借りず人前で発言するということは、頭の働きと度胸のいることで、地域社会において少年から大人の仲間入りするためにはそうした資質が必要です。この祝唄は、その資質の確認と仲間入りの誓いであり、この入会式後、初めて社会的に一人前の大人と認められるという加入儀礼の一つの典型として、当時の民族習慣を知ることができます。

鍛冶屋の田植唄(かじやのたうえうた)

鍛冶屋の田植唄

昭和57年4月1日 湯河原町指定
所在地: 湯河原町鍛冶屋

明治以前から田植えのときや、まんが(※)洗いの祝宴、又は秋の収穫作業などの稲作に関連して唄い継がれてきたものです。戦後、農業の機械化が進み、あわせて都市化により湯河原町にも水田は無くなり、田植唄が聞こえてくるようなのどかな田園風景を見ることはできなくなりました。
唄の形式は、唄いあげ 「今日の日も昼間になるのにまだ寝てか雨だれすだれ」 (はやし)唄 「ヤーノ朝日さすまで」 というように指揮者の音頭と噺唄のかけ合いで進行するもので、かつての湯河原の農村風景をうかがい知ることができますが、鍛冶屋地区の古老の記憶にわずか残るだけで、その古老も少なくなっています。
まんが  馬鍬(まぐわ)といい、昔の農機具の一種


鍛冶屋鹿島踊り(かじやかしまおどり)

五郎神社の鹿島踊り
平成16年1月1日 湯河原町第4次(第1期)指定
所在地: 湯河原町鍛冶屋

鍛冶屋の鹿島踊りは、総勢25人で踊られ、そのうち役持ちと呼ばれる歌上げ役2人、(かね)役2人、太鼓(つつみ)役1人、黄金柄杓(こがねびしゃく)役1人、三日月(みかづき)役1人と踊り役18人で構成され、このほかに4人の警護役が加わります。
毎年4月、鍛冶屋地区にある五郎神社の例大祭のときに五郎神社や鍛冶屋会館などで踊られます。海から隔たっているこの地域の鹿島踊りは、踊り場所など、素鵞(すが)神社で行われる吉浜の鹿島踊りとは異なった特色が伝承されています。

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