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絵画・古文書

ページID:0002553 更新日:2022年3月31日更新 印刷ページ表示

子之神社の格天井板絵(ねのじんじゃのこうてんじょういたえ)

子之神社格天井絵

昭和54年4月1日湯河原町指定
所在地:湯河原町福浦129 子之神社

この板絵は、狩野派(かのうは)と文人画(ぶんじんが)を折衷した格調高いもので、中国や朝鮮に流行した陰陽(いんよう)五行説(ごぎょうせつ)や本草学(ほんそうがく)などの知識が盛り込まれ、江戸文化史の一断面を知る貴重な資料です。板絵に描かれている花鳥獣魚の大半は八十島(やそじま)文雅(ぶんが)の筆によるものですが、一部の魚貝類等郷土特有の海産物の絵に中には稚拙なものもあり、おそらく地元の無名絵師の参加もあったものとみられ、郷土資料としても得がたいものです。なお、作者の文雅は、天保時代の女性絵師で、その画風や雅号から察して谷(たに)文晁(ぶんちょう)と師弟関係にあったと推測されます。文雅は、当時、江戸の魚商人と密接な関係にあった福浦村の求めにより、はるばると当村に至り、名主であった露木(つゆき)浦右衛門(うらえもん)宅に長期滞在し、村民の協力を得ながらこの板絵を完成させたものと考えられます。

元禄13年10月伊豆山権現領(いずさんごんげんりょう)と小田原蕃との境論についての幕府裁許状(裁定図)

元禄13年10月伊豆山権現領と小田原蕃との境論についての幕府裁許状(裁定図)の画像

平成16年1月1日湯河原町第4次(第1期)指定
所在地:湯河原町中央2丁目2番1(湯河原町役場内)
製作年代:元禄13(1700)年10月4日

伊豆山権現領の農民が、権現領内から石を切り出す小田原領民を訴えたものです。万治年間(1656~1660年)伊豆山と熱海村との境界争いに下された裁許絵図をよりどころに、伊豆山権現領と小田原領との境界が定められることになりました。この境界がそのまま伊豆国と相模国との国境となりました。
この裁許で、門川(もんがわ)〈現千歳川〉が境界となり、現熱海市泉地区が伊豆国へ編入されました。
近世における人々の暮らしや産業、国境の定め方を知るうえで、貴重な歴史的資料です。