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2021年02月10日(水) ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)

ページID:0002656 更新日:2021年2月10日更新 印刷ページ表示

ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像1

皆さま、ボンジョルノ!立春を過ぎ、暦の上ではもう春ですね。こちらティボリ地方は最近お天気が良く、気温も15℃を超えるお散歩日和な日が続いています。
 もうすぐ2月14日。バレンタインデーが近づいていますね。こちらは聖ヴァレンティーノの日もしくはfesta degli innamorati(恋人同士のお祝いの日)と呼ばれています。ところでこのバレンタインデー、実は起源がイタリア!だってご存じでしたか?
 遡ることローマ帝国時代の3世紀。ローマ皇帝クラウディウス2世は、結婚禁止令を発令しました。それは、愛する妻を故郷に残して来た若い兵士は戦場で全力を出さないためです。しかし、現在のウンブリア州のテルニという町でキリスト教の司教を務めていたヴァレンティヌス(バレンタイン)は、嘆き悲しむ恋人たちを可哀そうに思い内緒でこっそり結婚式を行なっていました。それを知った皇帝は怒り、ヴァレンティヌスを274年2月14日に処刑したためこの日が聖ヴァレンティーノの日となり、愛の守護神として崇められているというのが一般的に語られている伝説です。でもこれはキリスト教を布教するための建前だったと考えられている説もあります。というのもこの時代ローマ帝国では、毎年2月15日に「ルペルカリア祭」という豊穣、多産を祈願する祭りが開催されていました。全裸の男性が子宝に恵まれない女性や安産を願う女性をヤギの皮のムチでたたくという刺激的な儀式だったそうです。女性はその痛みの犠牲を払うことと引き換えに願いが叶うと信じられていたそう。それだけでなく前日には未婚女性が名前を書いた札を桶に入れておき、祭り当日に男性陣は桶から引いた札の名前の女性とカップルになるといった一種のお見合いパーティーも行われていました。当時、男女離れて暮らしていたローマ人にとって、一年で唯一男女が出会えるこのお祭りは大人気だったようで5世紀頃まで続いたそうです。しかしキリスト教が392年に国教になってからもこの異教の祭りが続いていたので風紀を乱し布教の妨げになるとし、ローマ教皇ゲラシウス1世は5世紀末に禁止しようとしました。しかし、やみくもに禁じると若者たちの反感を買うためキリスト教会はこの祭りを2月14日に殉教した聖ヴァレンティヌス(バレンタイン)と結び付け、愛を誓う日という名目でキリスト教の祝日として残したのです。
 聖人の名のついたバレンタインデーが実はキリスト教とは無関係のお祭りが原点だったなんて驚きですよね~。
 驚きと言えば、こちらのバレンタインデーは日本とは大きな違いがあります。本命チョコのみで義理チョコ、友チョコ、自分へのご褒美チョコなどの概念はありません。もちろんホワイトデーもありません。そしてあくまでも女性が主役。プレゼントを貰えるのはもっぱら女性なんです。そもそもプレゼントとしてチョコは3番手4番手くらいで順位をつけるなら真っ赤なバラの花、ジュエリー、下着でしょうか。バラの花が一番なのは聖ヴァレンティヌスが隠れて結婚させてあげたカップルにバラの花をプレゼントしていたと云われているからかもしれません。
 レストランでのロマンチックディナーやスパでのデートも一般的です。
 これを読んで下さっている男性の方々、今年はイタリア流に男性から女性にプレゼントしてみてはいかがでしょうか。
 Buon San Valentino a tutti !! 素敵なバレンタインデーをお過ごしください!!

<ティボリ商店街のランジェリーショップ>

ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像2

<かばん屋さん>ハートをモチーフにしたかわいいバッグ

ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像3

<スーパーのチョコレート売り場>

ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像4
ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像5

<お花屋さん>
プレゼント用にアレンジされたバラの花 バレンタインバージョン

ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像6
ティヴォリ市レポート(バレンタインデーの由来)の画像7

2021年02月10日 10時28分