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2019年11月08日(金)忠州市レポート(弥勒寺址と馬鹿オンダル)

ページID:0006126 更新日:2019年11月8日更新 印刷ページ表示

弥勒寺址と馬鹿オンダル


こんにちは。
 秋が深まり、紅葉がきれいな季節となりました。
 皆さんは韓国に伝わる馬鹿オンダルという話を聞いたことがありますか。
 今月は弥勒寺址(ミルクサジ)とそこにまつわる韓国で有名な逸話、馬鹿オンダルという話をご紹介いたします。
 忠州市から車で約30分くらい行くと月岳山国立公園に着きます。
 渓谷から見える岩山の風景が日本の山々とはまた違う風景です。
その月岳山のふもとに石窟寺院の跡がある中原(チュンウォン)弥勒寺址(ミルクサジ)史蹟 第317号があります。
 弥勒寺址(ミルクサジ)は百済時代末期~高麗時代初期のものと推測される貴重な仏教遺跡で、新羅第56代国王である敬順王(キョンスンワン)の息子、衣太子(マイテジャ)が、新羅の力が衰え、悲しみながら金剛山に行く途中に観音菩薩が夢に現れ、この地に仏像を建てるよう言われ、石造りと木造りを合わせもった建石窟寺院と弥勒如来(ミルクヨレ)立像を造ったと言われています。
 仏像の高さは10.6メートルで、宝物第96号に指定されています。
 石仏を囲む石壁は、慶州(キョンジュ)の石窟庵の様式の影響を受けたものと推定されていますが、モンゴルの侵攻により寺院は消失して、その時に大部分が破壊されました。
 中原弥勒寺址には弥勒(ミルク)五重石塔の宝物第95号や、灯篭など1000年以上経つ重要な遺跡があり、訪れる人々の心を魅了します。
そしてその同じ敷地のなかには、馬鹿オンダルの逸話にまつわるものがあります。
この話は、三国史記の中にある話で、韓国の子供たちが絵本でよく読まれ知られています。
オンダルという将軍は高句麗時代に実在した人物ですが、すべてが実話かどうかはわかりません。
 昔々、高句麗第25代王 「平原王」の頃、平原王には「ピョンガン」と言う娘がいました。
そのお姫様はとても泣き虫で、姫が泣くたびに王は
「そんなに泣くと、後で馬鹿オンダルの嫁にするぞ。」と、いつも口癖のように言いました。
その当時オンダルという、家が貧しくて、薄汚ない格好をし、人々から馬鹿にみられて、いつも食べ物を物乞いしながら、目の悪いのお母さんのお世話をしていた、心はとても優しい男がいました。
 姫がお嫁に行く年頃になり、王は姫を結婚させようとしましたが、姫はどうしても「馬鹿オンダルと結婚する」といいました。
 「なぜならお父さんの口癖のように言ってきたことには責任があり、王であるお父さんが嘘をついてはいけない」と言うのです。
 王は怒って姫を追い出し、姫は宮殿を出て、オンダルと結婚をしました。
ピョンガン姫はオンダルに読み書きと武芸を習わせ、国で開かれた「狩り大会」に参加させました。
その結果オンダルは、見事に狩り大会で1等を取り、王はその人物がピョンガン姫の夫である「オンダル」だと知りとても喜び、高い官位を与えました。
こうしてオンダルは将軍になり、国と王に忠誠を捧げたというお話です。
そして、そのオンダルは、とても力持ちでこの寺院の敷地にある丸い大きな石を使って遊んだと言い伝えがあります。(写真 参照)
そんな逸話と共に長い歴史を見つめてきた弥勒如来(ミルクヨレ)立像は、現在長い修復作業に入り残念ながら幕の外からしか見ることができませんでした。
 秋になり肌寒い透き通った空気と、赤や黄色に染まった木々が美しく弥勒寺址と調和していました。
 

弥勒寺址と馬鹿オンダル2

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル3

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル4

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル5

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル6

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル7

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル8

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル9

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル10

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル11

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル12

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル13

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル14

 

弥勒寺址と馬鹿オンダル